アメリカが狙う「キプロス方式」とは?150年前の歴史と地球儀から読み解くグリーンランドの未来

かつてドナルド・トランプ前大統領が「グリーンランドを買いたい」と発言した際、世界中のメディアはこれを「不動産王の突飛な冗談」として報じました。デンマーク政府も即座に「グリーンランドは売り物ではない」と拒絶し、この話題は一過性の笑い話として消費されたかのように見えました。
しかし、地政学の時計を少し戻し、そして地図を「平面」ではなく「球体」として眺めたとき、この発言の背後にある冷徹な戦略が浮かび上がってきます。
アメリカが目指しているのは、単なる不動産購入ではありません。それは、かつて大英帝国が地中海の要衝キプロス島を手に入れた際に用いた外交の裏技、「キプロス方式」の現代版です。
なぜアメリカは執拗にグリーンランドを狙うのか? メルカトル図法の地図が隠している「不都合な真実」とは何か? そして、19世紀のキプロスで起きた出来事は、現代の北極圏でどう再現されようとしているのか。
本稿では、歴史と地理という2つのレンズを通して、グリーンランドを巡る大国の覇権争いを深掘りします。
1. キプロスはいかにしてイギリスの手に渡ったのか?
「キプロス方式」を理解するためには、まず19世紀後半の地中海へ遡る必要があります。現在のキプロス共和国は複雑な分断国家として知られていますが、かつてこの島は、オスマン帝国(現在のトルコ)の支配下にありました。
1-1. 衰退するオスマン帝国と、南下するロシアの脅威
1870年代、かつて隆盛を誇ったオスマン帝国は「瀕死の病人」と呼ばれ、急速に国力を落としていました。その隙を突いて南下政策を強めたのが、帝政ロシアです。
ロシアは不凍港(冬でも凍らない港)を求めて地中海への進出を悲願としており、1877年に露土戦争(ロシア・トルコ戦争)が勃発すると、オスマン帝国を圧倒しました。ロシアの勢力が地中海東部に及ぶことは、当時の覇権国であるイギリスにとって悪夢そのものでした。イギリスにとって地中海は、最重要植民地であるインドへと続く「帝国の生命線(スエズ運河ルート)」だったからです。
「ロシアの南下を食い止めたいイギリス」と、「ロシアから国を守りたいが力がないオスマン帝国」。この両者の利害が一致した地点に、キプロス島がありました。
1-2. 「主権」は残して「管理権」を奪う―1878年の秘密協定
1878年、イギリスとオスマン帝国の間で歴史的な協定が結ばれます(キプロス協定)。この協定の内容こそが、現代のグリーンランド問題を読み解く最大の鍵となります。
イギリスはキプロスを「領土」として割譲させたのではありません。「主権(Sovereignty)」はオスマン帝国に残したまま、「管理権・行政権(Administration)」のみをイギリスが借り受けるという、極めて特殊な契約を結んだのです。
- 名目(タテマエ): キプロスはあくまでオスマン帝国の領土である。
- 実態(ホンネ): 駐留軍を置き、行政を行い、イギリスが軍事拠点として自由に使用する。
これにより、イギリスは他国(特にフランスなど)からの「領土拡張だ」という批判をかわしつつ、実質的な支配権を手に入れました。当時の英国首相ディズレーリは、血を流さず、金も払わず、外交交渉だけで地中海の要衝を手に入れたのです。
1-3. 第一次世界大戦を機に「正式な併合」へ
この「リース状態」は長くは続きませんでした。1914年、第一次世界大戦が勃発し、オスマン帝国がイギリスの敵対陣営(同盟国側)に付くと、イギリスは即座に協定を破棄し、キプロスの「正式な併合」を宣言しました。
「管理権の借用」から始まり、既成事実を積み上げ、最終的に「完全な領土化」へ。これが、歴史が示す「キプロス方式」の恐ろしい完成形です。
2. 地球儀を回せば見えてくる、グリーンランドの絶対的価値
視点を19世紀の地中海から、21世紀の北極圏へと移しましょう。なぜアメリカは、氷に閉ざされた巨大な島、グリーンランドにこれほど固執するのでしょうか。
その答えを知るためには、私たちが普段見慣れている「地図」を疑う必要があります。
2-1. メルカトル図法の罠:ワシントンとモスクワの「中間地点」
学校の教室やGoogleマップで見る「メルカトル図法」の地図を思い出してください。グリーンランドは地図の上端に引き伸ばされ、アメリカやロシアとは少し離れた「世界の果て」にあるように見えませんか?
しかし、地球儀(球体)で見ると、世界は全く違った姿を見せます。
アメリカの首都ワシントンD.C.から、ロシアの首都モスクワへミサイルを飛ばす、あるいは航空機で最短距離(大圏コース)を飛ぶ場合、そのルートはどこを通るでしょうか?
答えは、「カナダ北東部を抜け、グリーンランド上空を通過し、北極海を越えるルート」です。
つまり、軍事的な視点において、グリーンランドは「世界の果て」ではなく、米露の喉元に突きつけられたナイフの間合い、すなわち「絶対的な中間地点」に位置しています。
冷戦時代から、もしソ連(ロシア)がICBM(大陸間弾道ミサイル)を発射すれば、それは必ずグリーンランド上空付近を通過します。アメリカにとってグリーンランドは、敵のミサイルを早期に探知し、迎撃するための「最前線の盾」なのです。
2-2. 「NATO加盟国デンマーク」という壁と、アメリカのジレンマ
この戦略的価値は19世紀のキプロス以上です。であれば、アメリカはなぜグリーンランドを強引に併合しないのでしょうか?
そこには現代ならではの複雑な事情があります。グリーンランドの宗主国であるデンマークは、NATO(北大西洋条約機構)の原加盟国であり、アメリカの強固な同盟国だからです。
ここにアメリカのジレンマがあります。
- 敵国や弱小国なら、圧力や戦争で奪えるかもしれない。
- しかし、相手は「守り合う約束」をした同盟国である。
トランプ氏の「買収提案」が却下されたのも当然です。同盟国の領土を金で買うという行為は、NATOの結束を乱し、デンマークの主権とプライドを著しく傷つけるからです。
「欲しいけれど、奪えないし、買えない」。
この手詰まりを打開するためにアメリカが採用したのが、かつてイギリスが用いた「キプロス方式」の現代的アレンジです。
2-3. グリーンランドにおける「キプロス方式」の完成
では、具体的にどのような形で「主権を尊重しつつ管理権を握る」のでしょうか。現在、いくつかのシナリオが報じられています。
- 機能強化モデル(マイルドな適用): 既存の米軍基地(ピトゥフィク宇宙基地など)の機能を、NATO防衛の名目で大幅に強化する。1951年の防衛協定を再交渉し、米軍の駐留権限を拡大する現実的な路線です。
- 「主権基地」モデル(ドラスティックな適用): ここがまさに「キプロス方式」の真骨頂です。一部報道によれば、基地周辺の限定的な地域のみ、デンマークからアメリカへ主権を割譲させるという案も浮上しています。これは、キプロス独立時にイギリスが二つの基地地域を「主権基地領域」として自国領土として残したモデルと酷似しています。島全体の主権は奪わずとも、最も重要な「点」を完全に領土化してしまうのです。
- 恒久租借モデル(グアンタナモ方式): キューバのグアンタナモ基地のように、実質的に無期限の租借契約を結び、完全な排他的支配権を確立する案も考えられます。
いずれにせよ、アメリカはNATO同盟国との決定的な対立を避けつつ、グリーンランドという「不動の空母」を確実にコントロール下に置くための法的・外交的枠組みを、あらゆる角度から検討していることは間違いありません。
3. 過去の教訓と未来の展望―グリーンランドの行方
では、グリーンランドの未来はどうなるのでしょうか。キプロスのように、最終的にはアメリカに「併合」されてしまうのでしょうか。
3-1. 中国の影と、自立を目指すグリーンランド
状況をさらに複雑にしているのが、中国の存在です。「氷上のシルクロード」構想を掲げる中国は、グリーンランドの豊富なレアアース(希土類)や、温暖化で航行可能になりつつある北極海航路に関心を寄せています。
アメリカが急いでグリーンランドへの関与を深めている(2020年にはヌークに領事館を再開設し、巨額の経済援助をパッケージ提示した)のは、ロシアだけでなく中国への対抗策でもあります。
一方、グリーンランド自治政府には「デンマークからの完全独立」を目指す強い世論があります。しかし、経済的に自立するためには資金が足りません。彼らにとって、アメリカ(や中国)からの投資は、デンマークへの依存を減らすための「劇薬」としても機能します。
3-2. 21世紀の「実効支配」―主権は形骸化するのか
現代の国際法や世論を鑑みれば、100年前のキプロスのように、ある日突然アメリカが「グリーンランド併合」を宣言する可能性は極めて低いでしょう。
しかし、「実効支配」の密度は確実に高まっていきます。
経済圏がドルに依存し、防衛が米軍に完全に委ねられ、重要インフラがアメリカ資本で作られるようになったとき、「主権」は形式的なものになります。
もし将来、北極圏で軍事的緊張が極限まで高まった場合、アメリカは「NATOの集団的自衛権」や「西半球の安全保障」を理由に、デンマークの意向を超えてグリーンランドを要塞化する可能性があります。その時、デンマークが「NO」と言える力関係が残っているかどうかは不透明です。
まとめ:歴史と地理は嘘をつかない
1878年の地中海におけるキプロス島。
2020年代の北極海におけるグリーンランド。
時代も場所も、プレイヤーも異なります。しかし、「強大国が自国の安全保障(対ロシア戦略)のために、同盟関係や条約を利用して、他国の要衝を実質的に管理下に置く」という構図は驚くほど似通っています。
そして、その重要性は平面の地図を見ているだけでは理解できません。地球儀を回し、ワシントンとモスクワを最短で結んだとき初めて、なぜアメリカがこの氷の島に執着し、かつての大英帝国の手法をなぞろうとしているのかが見えてきます。
「歴史は繰り返さないが、韻を踏む」――マーク・トウェインの言葉とされるこのフレーズ通り、北極圏では今、150年前の地中海の歴史が静かに、しかし確実に韻を踏んでいるのかもしれません。
ニュースで「グリーンランド」「北極海」「米軍基地」という言葉を聞いたときは、ぜひ思い出してください。そこでは今、領土を「買わずに手に入れる」ための、静かで激しい外交戦が繰り広げられているのです。